HISTORY

「アメリカンフットボール部を創りたい、同志は4月26日、教養部・食堂前に集合」。この言葉から、1975年にRAVENSの歴史は始まる。はじめは同好会としてのスタートだった。一人を除き全員が未経験者であったが、創部2年でわずか20数名でのブロック優勝を果たした。
1977年、前年にブロック優勝した実績から、体育会への加入が認められた。
1979年にはチームのメンバー数も50名以上になった。入れ替え戦出場権も手に入れ、万博競技場で行われた1部リーグ7位の大阪経済大学との入れ替え戦は見事勝利、初の1部リーグ昇格を果たした。
その後も1部残留を続け、1984年には創部以来の悲願であった打倒京都大学が実現した。翌日はスポーツ紙を始め、全国紙までもが神戸大学の勝利を報道するほどの快挙であった。
しかし、1986年、秋のリーグで7位となり入れ替え戦に出場。関西大学に敗北し、2部へ降格することになった。
翌年の1987年、関西大学と再び対戦し、勝利。わずか1年で1部に復帰した。
1990年には神大旋風が巻き起こった。関西学院大学に創部15年目にして初勝利を収めた後、次々と勝利を重ね、京都大学との最終戦を迎えることになった。当時国立大決戦と謂われたその一戦は、試合会場が西宮球技場から急遽長居球技場に変更されるほど世間の注目、期待も高まっていた。しかし、残念ながら結果は0対45と完敗。甲子園ボウルへの道はあと一歩のところで閉ざされた。
1992年、2年前の雪辱を果たして京都大学戦に勝利し、最終成績は5勝2敗2位とRAVENS史上最高の成績を残した。
しかし、1994年には1部リーグ1勝6敗7位の成績で入れ替え戦出場。同志社大学との入れ替え戦にも敗れ、2部降格という結果に終わった。
1995年には阪神淡路大震災に見舞われ、思うように練習ができない日々が続いた。秋のシーズン2部リーグでの戦いは順調に勝利を重ね、宿敵同志社大学との入れ替え戦を迎えたが、8対5のスコアで敗戦した。
1996年、入れ替え戦の相手はまたも同志社大学。後半で逆転し、勝利。1部昇格を決めた。
その後、2003年、2005年と入れ替え戦に出場するも勝利し、1部で戦い続けた。
2008年には、初戦で因縁の関西大学に9年ぶりに勝利し、最高の幕開けを飾った。近畿大学にも15年ぶりに勝ち越し、18年ぶりの単独3位という結果で「革新」を成し遂げた。
2015年には創部40周年を迎え、エレコム株式会社の協力のもと人工芝の神戸エレコムグラウンドが完成し、練習に集中できる環境が整った。
しかし、2016年、入れ替え戦に出場。相手は桃山学院大学であった。両者拮抗する場面が続いたが、第4QにTDを許し敗戦。21年間守り続けた1部リーグの座を失うこととなった。
2017年には、2部リーグで完封勝利を続け、入れ替え戦出場の切符を手にした。1部復帰をかけた同志社大学戦。計7回のターンオーバーを決めて完封勝利を挙げ、無事に1年で1部復帰を果たした。
2019年は日本一に最も近づいた1年であったと言えよう。春シーズンでは、前年の全日本王者・関西学院大学を含む5校全てに勝利。秋シーズンには11年ぶりに強豪校関西大学を破り、歴史的快挙を遂げた。Div.1リーグ戦第3位という結果を残し、甲子園ボウルのトーナメント戦への出場を決めた。中京大との西日本代表校決定戦には勝利するものの、秋シーズン2度目の対戦となる関西学院大学に敗れ準決勝敗退、日本一には届かなかった。
2020年、未曾有の新型コロナウイルス感染拡大の影響により、春シーズンは中止。秋シーズンもトーナメント形式で行われた。1勝2敗でトーナメント戦を終え、決勝に進むことは出来なかった。
その後、新型コロナウイルス感染症は収束を迎え、2021年以降は従来と同じリーグ形式へと戻った。
2025年には記念すべき創部50周年を迎えた。強豪がひしめくDiv.1で、創部当初と同じ「甲子園ボウル出場」、そしてさらに上の「日本一」を目指して戦っている。
